指導要録 本音の本音の本音

1 指導要録は書いた後、誰が見るのでしょうか。

  ぶっちゃけた話。

  誰もみません。

  もし何らかの事故や事件で「公開請求」があった場合は

  「開示前提資料」ですので、公開される場合もあります。

  しかし普通は誰も見ません。

  「進学の時に参考にするだろう」

  と言いますが、あなたは参考にしましたか。

  本当は、年度末に見たのではないですか。

  「あ〜前の人も同じこと書いてる、何だあ、人間は変わらないんだな」

  という感想を持った方も多いのではないでしょうか。

2 もう一つ「中学進学の時や高校進学の時は見るだろう」

  と思いますが、事実は「全く見ない」学校がほとんどです。

  つまり、下書きを書いて、上司が目を通して、清書して

  その後は「お蔵入り」になるのです。

  そんなもののために(失礼)

  文章の細かな助詞とか、漢字の間違いとか

  言ってみれば「どーでも良い」のです。

  極論ですがね。

  だから、神経をとがらせて書く必要など何もないと

  思います。

3 いい事のみの「指導要録」なんて「使えない資料」なんです。

  要するに「どーでもいい録」なのです。

  しかし法的拘束力のある文書ですから

  書かないわけにはいきません。

  大阪のように「特記事項なし」という判子で済ませるところ

  もありますが、文章は書かなくてはならないところが

  大半だと思います。

  それなら、「子どもの反省」を写して終わればいいのです。

  はっきり言って重要な文書ではありません。

  もちろん「いいかげんに書け」というわけではありません。

  細かいことはどーでもいいと言いたいのです。

  「通信表」は親、祖父母、が見ますから「重要」ですけれど。